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上茜部城跡


登城日:(2006.04.22)
所在地: 岐阜市茜部本郷2丁目
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
国道脇に建つ上茜部城、城址碑  上茜部城は戦国時代堀秀政の先祖資重が本郷の地に築き、天正年代(1570)秀政の居城であった。秀政は天文十二年(1553)城内に堀秀重の嫡男として生まれ幼名菊千代長して久太郎と称し十三歳にして信長に仕え数多く武勲をたて天正九年(1581)には長浜城主、翌十年本能寺の変後秀吉の先鋒として光秀を山崎に討つ。その智勇をめで羽柴の称号を賜る。
 其の後賤ヶ岳の合戦に功をたて佐和山城主、長久手の合戦紀伊根四国征伐の功により従四位下侍従左衛門督となる天正十三(1585)北ノ庄城主として十八万八百石を拝領、同十五年(1587)秀吉に従い九州島津征伐同十八年(1590)秀吉の小田原城攻めに一方の大将として参戦中同年五月二十七日陣中にて病死す。三十八才。
 秀政は出世の早い立派な人格者であった生前家臣庶民に慕われ名人品行左衛門讃えられた。秀吉は秀政の死を痛み悲しみ嘆いた。
 秀政没後四百年にあたり顕彰碑を建立し当地本郷出身の秀政の遺徳を讃えると共に郷土の歴史文化遺跡の究明の一歩と心豊かな郷土愛連帯感の育成に役立つものと念願する。

『上茜部城跡案内板』より

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資料
 

私見
 岐阜駅を南へ国道157号線を下っていきますと、右手に石碑と案内板がみえてきます。この辺りに堀氏の居城として上茜部城(茜部城とも)があったのです。現在はまったくその跡形もないですが、碑があるだけでよしとします。といってもその碑もたまに城跡とは違う場所に建ってることもありますので注意が必要なんですけどね。(^^;。
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