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段垣内構居跡
登城日:(2005.02.06)
所在地: 多可郡中町門前字段垣内
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
1郭内中央にある石積み遺構 東端の3郭上にある土塁跡  段垣内構居は段ノ城の山麓部にあることから、在田氏の居城であるとされている。在田氏は天文年間に河内城から野間城に移ったが、この地は但馬、丹波との境となる要衝の地であるとして、整備したようだ。
 永禄十一年(1568)に別所氏に合併された在田氏にかわって、別所重棟がこの地を支配するようになった。天正五年(1577)別所氏が但馬八木城に移ると織田家の家臣が入部した。
 なお、段垣内構居は『播磨鑑』にある「荒田構居」と同じものであろうと考えられている。

『播磨・水尾城跡の調査と研究』西脇市教育委員会刊参照

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資料
 

私見
櫓台付近の二重土塁  段の城が山上に聳えるのをぐっと我慢しつつ、山麓部の段垣内構居跡を攻めてみました。遠めからもその存在感が感じ取れるのは見事な土塁があるからです。門村構居跡の三重土塁にも驚かされましたがここの土塁や、その他遺構の状態にもほんとすばらしいの連続でした。私は西側から城域に入ったのですが逆Lの字状の土塁が残る2郭に入るとそのまままっすぐに東進してみます。櫓台遺構とされる部分が突出しており、横矢掛りを形成しているのがよくわかります。が、民家のすぐ上なのでなんだか覗きをやってるようで気が引けますね。(^^;
 さて、虎口を抜けだだっ広い1郭内にはいりました。東西100メートル以上の広さを誇る削平地の中央には石積み遺構がのこっています。もっとあってもいいのに、と思う石を使った遺構がここだけというのも不思議なもんですね。
 その先は倒木がひどくて状態が確認できません。が、折れを残す土塁は見事に存在感を主張していました。山麓部でこれですから上の段の城下段、上段はどんな状態なのだろうかと期待に胸膨らむばかりなのですが、小雪がちらついてきたのであっさり退散することとしました。
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