HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

古宮砲台場跡


登城日:(2005.12.17)
所在地: 加古郡播磨町古宮
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
現在は跡形もないですが台場跡です。  十八世紀の末ごろから、鎖国状態の日本に対し通商を求めるロシヤ(現ソビエト連邦共和国)やアメリカ合衆国など欧米諸国の異国船の出現が頻繁になり、幕末の世論が「攘夷か開国か」で沸騰するなか、幕府は海岸に大砲を備えるなどして防備を厳重にし、文政八年(1825)には外国船打払令を出して、あくまでも鎖国を守ろうとした。
 そこで、姫路藩も、幕府の命により、嘉永三年(1850)、家島、室津に砲台を築き、さらに、文久三年(1863)に飾磨福泊(的形)高砂、古宮に砲台場を築いた。
 この砲台場跡は、姫路藩の東端に位置し、大阪湾を経て姫路領沿海に近づこうとする異国船を発見すれば大砲で威嚇する一方、姫路城に急を知らせるために設置されたもので、三門の大砲を備え、藩士によりこれを守らせていたと伝えられている。
 この砲台場に異国船が近づいて、砲撃したという記録はない。しかし安政元年(1854)九月十五日にロシヤの使節プチャーチンが天保山沖(大阪湾)に現れ、十月三日に下田港へ向けて出航したが、その間の九月二十二日に代官中村五右衛門が兵を率いて当地で警備にあたった記録が残されている。
 ここは、地方の人たちから砲台場が変化したのか「オダイバ」と呼ばれていた。

『古宮砲台場跡案内板』より

【戻る】

資料
 

私見
かつての海岸線です。  少し前に台場の話が出たので台場や砲台に興味が出てきました。調べてみると近くに台場があるじゃないですか!ってことで寒風吹きすさむ中、城めぐとしては初の台場に行ってみました。
 場所は古宮の望海公園すぐ北にある企業が建つあたりです。元々の状態がどういったものなのかはまだ分からないのですが、案内板があるのは嬉しかったです。こんな近所に大砲を有する台場があったのかぁと新鮮な驚きを感じました。なんか城めぐの原点を久々に思い出した気がしました。
【戻る】