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飾磨砲台跡


登城日:(2005.12.24)
所在地: 姫路市飾磨区須加
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
台場はフェリー乗り場など完全に消滅してしまってます。  飾磨津は、江戸時代前期の慶長年間から姫路藩御船役所が置かれ、水軍の御船手組が常駐していた。弘化三年(1846)には藤田維昌(これまさ)が湛保(たんぽ)を築造し、巨大な人口港が完成した。
 当地に砲台が築かれたのは文久三年(1863)とされており、勝海舟が摂津に派遣され西宮今津などの砲台建造と同時期である。姫路藩でも同様に沿岸警備の為、飾磨の他にも福泊、荒井、古宮 に砲台を配置した。
 飾磨には荻野流ニ門、西洋流ニ門の計四門の砲台が設置され、南部には1メートルほどの土塁が半円を描くように巡らされていたようである。

『日本城郭体系12』新人物往来社刊参照

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資料
 

私見
飾磨台場裏にある船溜りはよく残っています。 わかりにくいですが石碑もありました。  飾磨砲台(飾磨台場とも)は、家島や小豆島へと渡るフェリーの乗り場や、姫路港湾庁舎があるあたりにありました。台場の南部にあったとされる土塁はもはやありませんが、方形を保つ船溜りは旧状を保っています。大きな石碑があるなと思い、近づいてみますと見づらかったですが藤田維昌の湛保築造を記念するもののようでした。
 祭りにも”台場”が残る当地は歴史ある港に相応しい重みが感じられる気がします。ただ車を駐車させる場所を考えるのが難しい(って南側にある有料駐車場がありますが)ですね。こんどはここから家島へ渡ってみたいなぁと思ってます。
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