三木山森林公園の第二駐車場で車を停めると、そこから100メートルほど歩くと一番高い地点一帯がおそらく箕谷ノ上付城跡と考えられます。現在はウッディ広場という、子供の遊び場になっていますのでまわりを見渡しても城跡らしき遺構は何も見つけられませんでした。
ただ、クラフトハウス裏が非常に急峻な崖になっていますので人工的なものだとかなりのものです。秀吉がいた本陣であった
平井山本丸跡を思い出されます。ここを守ったとされる糟谷武則は
加古川城城主であり、この当時では秀吉にとっては新参者です。付近の
八幡谷山上明石道付城にいる間嶋彦太郎もまた、播磨武者ですよね。一番の矢面に立たせたというところなんでしょうねぇ。
三木城攻め関連の陣城を改めて見直していっている中で、箕谷ノ上付城を再訪してみました。ウッディ広場に到達するまでは前回同様なのですが、今回は南側から西へと伸びる遊歩道へと探索範囲を広げてみました。しばらくいくと木材を保存している倉庫が建つ地点があるのですが、なんとなく土塁が見えている気がします。迷わず飛び込んでみるとなんとなく方形郭を取り巻く土塁を思わせる高まりが巡っているように見えます。実は今回は資料もあったからなのですが(^^;、ここがきっと箕谷ノ上付城跡なんだと思うことにします。残念ながら南側半分はすっかり整地されているので、わずかに残る土塁らしいものが唯一の遺構でしょうね。