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新宮藩陣屋

新宮藩陣屋跡


登城日:(2009.07.20)
所在地: たつの市新宮町新宮
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
新宮藩陣屋の何面石垣 新宮藩陣屋の標柱  新宮藩の藩祖池田重利は本願寺坊官の下間氏の出身であるが、母が池田輝政の姉という関係から池田家に仕えるようになり、その才智と武勇が認められ、慶長十八年(1613)に主君と同じ池田姓を名乗ることが許された。その後、大阪夏の陣の軍功により摂津に領地を与えられて大名となり、後に播磨へ一万石で移封され最初は鵤(太子町)に陣屋を置いたが、近隣の竜野姫路藩本多家との争いが原因で寛永三年(1626)に陣屋を新宮に移した。
 寛永八年(1631)に重利が没した後は、二代重政・三代薫彰・四代邦照と続き、寛文十年(1670)に邦照が継子を残さず病没したため廃絶となるが、本家岡山鳥取藩主の奔走により弟の重教が三千石の新規旗本に取り立てられた。その後、池田家は明治まで旗本として存続し、幕末には頼万(十二代)が奈良奉行・勘定奉行・江戸町奉行となり活躍している。
 当時の絵図によると陣屋の南北(元町一帯)に家臣の屋敷が配置されており、こころん広場のある所は家老水谷氏の邸跡である。

『新宮藩陣屋跡案内板』より

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資料
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私見
新宮藩陣屋の西面石垣  数年前に探したものの見つからなかったためにその存在を忘れてしまっていた新宮藩陣屋跡にいってきました。だいたい場所は分かっていたのであまり苦労することなくたどり着いてしまいましたが、どちらかといえば新宮駅側から来たほうが分かりやすいと思います。案内板も駅の方に向けられて立っていますので。
 陣屋跡は、現在も人が住まわれているようですので、訪城の際は十分な配慮が必要です。外側から見て、西面の石垣と、南面の石垣が異なるのが興味深いです。特に南面のそれはあの状態で保存されているのか・・・・。案内板の日付が平成21年3月でしたので、改めて史跡整備をされているのかもしれません。
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