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堺台場(北台場)跡登城日:(2006.05.16) 所在地: 堺市堺区北波止町、大浜北公園 |
歴史 | ![]() 大坂湾の警備は京都の守りという立場から重視され、まず加太(紀州藩)、由良・岩屋(徳島藩)、明石(明石藩)へ、少し遅れて大坂安治川・木津川両河口への台場の築造が命じられました。堺でもこれらの政策の一環として、安政二年(1855)までにまず堺港の小波止に台場(北台場)が建設され、それに少し遅れて大波止に南台場が建設されました。 ![]() 明治以降、北台場の敷地は公園地となり、当初は陸軍省の所轄に属していましたが、のちに堺市の所有となり現在は大浜北公園の敷地の一部として市民の憩いの場となっています。 『堺北台場跡案内板』より
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資料 |
私見 | ![]() 北台場は海に向かってコの字型に土塁が積まれただけのシンプルな構造でした。一方、港の南側にある南台場は改修により見事な水堀や石垣も組まれ、見事な西洋の台場に似た立派な形状は見ごたえがありますね。Web上でも自然と南台場ばかりが取り上げられるのは仕方ないのかもしれません。 安政二年作の『堺新御台場図』を観ていますとちょうど阪神高速の下あたりに土塁があったように思えます。
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