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相良城跡登城日:(2006.11.11) 所在地: 牧之原市波津 |
歴史 |
相良城は、明和四年(1767)7月に田沼意次が10代将軍家治から築城の命を受けた近代城郭である。その規模は東西500メートル、南北450メートル、約七万坪。それまであった相良御殿を改修し、萩間川、天の川を外掘として構え、本丸、二の丸、三の丸を巡らした。 しかし完成したのもつかの間、松平定信の台頭により意次の失脚となり完成から約8年後の天明八年(1788)に相良城の取り壊しが決定。横須賀藩主の西尾隠岐守、浜松藩主の井上河内守、田中藩主の本田伯耆守が相良に着き、その検分を行った。(『相良の城』相良資料館作参照) ◆相良城二の丸のマツ 田沼意次候の居城相良城は安永九年(1780)竣工した豪壮華麗な平城でしたが、天明八年(1788)城の建物は全部壊されてしまいました。 この九本のクロマツは、二の丸の土手にあり、数少ない相良城の歴史的遺産として、貴重な天然記念物であります。 ◆仙台河岸 田沼意次候が相良城を築いた明和四年(1767)仙台候(伊達重村)が、石垣用材を寄進して造られたもので、今もこの周辺を「仙台河岸」と呼んでいます。 この掘は城内と外海を結ぶ軍事上の役目を秘め備えた船着場で、当時は千石船が横着けできたといわれます。 現在相良城をしのぶ貴重な遺跡であります。 『相良城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
田沼意次の居城である近世城郭の相良城は現在、本丸跡地に資料館がたてられています。二の丸から三の丸には、小学校、中学校、高校と建ち並びすっかり埋没してしまっているかのような印象でした。 しかし資料館の方にお話を聞いたり、遺構を案内いただけたおかげで仙台河岸に残る石垣や、二の丸の土塁も見ることができました。対応してくださったお二人とも非常にお詳しく、突然訪れた我々を快く歓迎くださったのにはとても感謝しております。ちなみに資料感の建物は一応城郭建造物を意識した構えだそうです。(^^;
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