関宿城跡 登城日:(2001.12.22) 所在地: 東葛飾郡関宿町久世曲輪 |
歴史 |
関宿城は長禄二年(1457)に簗田成助が築城したとされている。簗田氏はのちに北条氏により一旦は攻められはしたが、再び簗田氏が関宿に帰り咲くと天正十八年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めまで在城していた。 やがて徳川家康が関東に入国すると関宿城には家康の異母弟である松平康元が城付二万石として移封されてきた。が、その後は次々と城主が移りかわっていく。松平重勝が越後三条から入封すると、遠江横須賀に転封。次は小笠原政信が古河から入封し、美濃高須へ転封。北条氏重が遠江久能から入封し、駿河田中に移封。その後牧野信成が武蔵石戸から入封し、次に板倉重宗が入封する。重宗が伊勢亀山に移封すると久世広之が入封する。重之が備中庭瀬に転封すると牧野成貞が入封するが、再び久世氏が入封し、そのまま明治維新までの間久世氏の治世が続いた。 『日本城郭体系6』新人物往来社刊参照
|
資料 |
私見 |
現在は綺麗な模擬天守閣が建ち、博物館としてランドマークとなっている関宿城は遠くからでもその位置を確認することができますが、築城時のころからはかなり改修が行われたようです。現在のような三層の櫓がつくられたのは寛文十一年(1671)の頃、久世広之の代のことでした。江戸城の富士見櫓を模してつくられたらしいのですが当時の幕府にへつらったってことなんでしょうかねぇ。 城主がめまぐるしく移り変わっていったのはここの立地条件が交通の要衝として非常に重要な地点だったからなんでしょう。私としてはリンクが一杯張れてちょっと嬉しいですけどね(笑)。 博物館は無料で見学することがお得でいいんですが、関宿城自体の歴史についてほとんど触れられていないのが大いに不満でした。それにうっかりしたことに忘れてしまってたんですが、関宿城の本丸があったのは博物館から南に約五百メートルほどのところに城址碑があります。博物館の存在感にやられてしまいました(笑)。
|