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越中島砲台跡登城日:(2006.03.10) 所在地: 江東区越中島2丁目 |
歴史 |
越中島砲台は、外国人殺傷事件や生麦事件など列強諸国との緊張が強まった文久期に築造された台場である。文久三年(1863)、小野友五郎と望月大象の連盟で江戸の内海強化のための台場増築意見が出された。品川の南大井村から越中島まで十数か所の砲台を築くというもので、同年11ヶ所の台場の見積りが出された。 そのうちどれだけの台場が実際に築造されたのかは明らかでないが、佃島と越中島の工事を落札し、請け負ったという記録が残されている。しかし越中島の工事は石材の高騰により請負業者が資金に困窮し、中断されることとなった。 『幕末海防史の研究』名著出版刊参照
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資料 |
私見 |
最近の東京出張のわずかな隙をついては海岸台場を巡っています(^^;。江戸城を警護するため、品川台場群によるラインと土佐藩の浜川台場から越中島にいたるまでの海岸台場のラインとの2つの防衛ラインが実に見事に配備されているのを実感していますね。しかし実際には活躍の場がなかったとは残念です。(単に台場の活躍が見たかったというだけで、戦争肯定じゃないですよ・・(^^;;;) 現在は東京海洋大学の船溜り辺りが台場として工事が進められていたあたりだと思います。計画段階の台場絵図を見れば4つの角を持つ形状でしたが、もっと規模を縮小してでもなんとか工事を続けられなかったもんでしょうかねぇ。お隣の佃島砲台はちゃっかり下方修正して完成してるというのに・・・(笑)。 そういえばここ越中島は練兵場として活躍していた地でもありました。
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