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天神山城跡 登城日:(2004.01.02) 所在地: 鳥取市湖山町南3 |
歴史 |
この小山は、天神山と呼ばれ、室町時代の因幡守護山名氏の居城、天神山城があった。 江戸時代の地誌「因幡志」には、文正元年(1466)山名勝豊によって築城されたと書かれている。 築城の経緯は不明な点もあるが、天神山城は、山名豊国が天正元年(1573)鳥取城に本拠を移すまで、十五世紀後半から約100年間にわたって、因幡国支配の政治的拠点であった。 天神山城は、かつて内堀・外堀を備えており、内堀は天神山を囲んで南北400メートル、東西300メートルの長方形に掘られていた。外堀は布施卯山をも取り込み、湖山池に通じる総延長2.6キロメートルに及ぶものであった。外堀の内側には城下町が形成されていたと考えられ、壮大な規模を誇る城郭であった。 発掘調査で土器・中国製の陶磁器・備前焼・古銭・下駄・曲物(まげもの)などが見つかっており、現在も井戸・櫓跡や濠の跡などが残っており、往時をしのばせている。 『天神山城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
この天神山城は、標高15メートルという極めて低い山城(?)です。山名勝豊がそれまでの支配地であった二上山城から居を移したのが始まりです。その後この地で八代、百年余り統治されていました。比高こそ低くて大丈夫かなと思わせるほどなのですが、往時は外掘、内掘で固められ、三層の天守櫓があったんですから驚きですね。 現在は旧鳥取農業高校の跡地(もうすぐ鳥取緑風高校)となっていますが、高校の北側から近づきますとフェンスもなく、郭跡のすぐ下までやってこれます。あとは標識に導かれるまま山に踏み入っていました。(^^; 天神山は、東側と北側にそれぞれ郭跡があり、さらに一段高くなった削平地が南北120メートルほどの長さで一番南まで続いています。本郭跡なんでしょうが、ここが一番広いですね。坂をあがったすぐ左に井戸跡があり、その脇に案内板もありました。 頂上の削平地の中でさらに一段高くなった部分があり大小4つに分かれています。大きなもので南北30メートルほど、東西20メートルほどとなっていますが、ここに天守櫓があったのかもしれません。 南に設置された東屋からは湖山池が一望でき、防己尾城跡もよく見えます。いくら掘をめぐらせたとは言え、このあとに移る鳥取城に比べると確かに防御面で格段の差を感じますね。
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