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天正寺城跡登城日:(2009.01.01) 所在地: 神戸市北区淡河町淡河 |
歴史 |
天正寺城は、永禄四年(1561)に三津田城の有馬則頼が淡河氏領に侵入して築城したのがはじまりである。築城して数年後に有馬氏は萩原城に移ったが、城は天正七年(1579)の羽柴秀吉による三木合戦の折、淡河城を包囲した時に秀吉側の陣城として利用され、杉原七郎左衛門家次が配された。 慶長五年(1600)まで淡河城に在城していた有馬則頼によっておさえられていた天正寺城であったが、有馬氏が三田城に移封された後は愛宕神社が祀られることとなった。 『日本城郭体系』新人物往来社刊参照
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資料 |
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私見 |
天正寺城は中国自動車道のすぐ北にある山の上にありました。山頂に神社があるおかげで階段がつけられていますので、急ではありますが苦労することなく登城することができます。 振り返ってみると淡河城一帯が広く見渡せますので陣城としては申し分のない位置にあると言えそうですね。 さて、城跡ですが社の奥、中国道とは反対側を覗いてみてびっくりしました。最初神社についたときは「あぁ遺構なんて残っていないんだな」と軽くがっかりしたのでしたが、一目見てわかる城跡遺構が非常にいい状態で残されていました。日本城郭体系にも「完全に残っている」と書かれているほどです。 少し斜面を下ったところから土橋状に北へと城が伸びているのがわかります。そしてさらに土橋状のものが・・うーん、土橋に見えるのですが土塁だったのかもしれません(^^;。上から見たときは明らかに人の手が入った複雑な形状に感動を覚えたのですがいざ目の前にするとなんとも表現が難しい城跡です。一つ奥にあるピークにも登ってみましたがそこにはただ平坦なだけでした。城郭体系にあった縄張り図と少々印象が異なっているように思えましたが、ぜひ一度訪れてみてください。
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