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松阪城跡 登城日:(1999.12.25→2008.05.04) 所在地: 松阪市殿町 |
歴史 |
松阪城は蒲生氏郷が天正十六年(1588)この四五百森に構築した平山城である。 氏郷が会津若松に移封後、 天正十九年(1591)服部一忠 文禄四年 (1595)古田重勝 と城主が変わり、元和五年(1619)紀州藩領となって、勢州領十八万五千石を統轄する城代が置かれた。 城は北を大手、南を搦手とし、本丸・二の丸・隠居丸・季代丸・出丸・三の丸より成り、本丸・二の丸・季代丸・隠居丸・出丸には高い石垣を築き、三の丸の外郭に水堀をめぐらせていた。 三層の天守閣と金の間・月見・太鼓等の櫓がそびえたっていたが、正保元年(1644)の台風で天守閣は倒壊したと伝えられている。また二の丸には寛政六年(1794)に建立された徳川陣屋があった。 明治十四年(1881)城跡公園となる。 『松阪城跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
早朝の城攻めを敢行してみました。表門からはいって月見櫓跡を通って、本丸跡へ。一切建造物はありませんが、石垣だけで十分城の規模が把握できます。ここは本当に広いですね。時間が早すぎたのか、城域内にある歴史資料館に入れなかったのが残念です。 またここにはサルの檻がぽつんと1つだけ置かれています。城跡内に小さな動物園のようなものがつくってあるのは津山、姫路、和歌山など枚挙にいとまがないほどですが、サルの檻ひとつだけってのは不思議で珍しかったです。 本丸跡から松阪市内を一望したあとはそのまま元来た道を戻らないで本居宣長邸跡を通って、御城番屋敷跡を通られることをお勧めします。整然と植え込みが整えられ、長屋造りになった屋敷跡を通るのは気持ちがいいです。後ろを振り返ると石垣がせまってくるようで、この松阪城跡では一番のビューポイントかもしれません。なお、実際にここに住まわれているかたがおられるようでしたが、実際に住むのはちょっと・・私だと落ち着かなさそう。(^_^; 9年振りの松阪城です。以前書いたサルの檻ってどこ?って感じですが、まぁそれはどうでもいいです。平成十五年に完了したの石垣大修復の成果をじっくりと堪能させてもらいますよ。 今回も表門から助左衛門御門をくぐり、本丸下段へ。太鼓櫓、月見櫓、遠見櫓などの跡を各櫓の謂れに妄想しつつ、石垣の上を歩きます。ここは多聞櫓で各櫓を連結されていました。壮観だったでしょうねぇ。 そして本丸上段へ。そういえばここ松阪城は本丸が占めるエリアがやたら広いですね。上段にあがったらやはり手前から順に金の間櫓、敵見櫓、そして天守へと石垣上を歩きながら時折下へと視線をやります。改めて見直すとこじんまりとできていますが、実に細やかに外敵に対する防備が考慮されていますね。今回は守備側の目線で散策しておりますので気楽なものです(^^;。 本丸上段も下段同様に多聞櫓で櫓が連結され、敵見櫓は天守と連結していました。いわゆる「連立式」の先駆けとなるわけですね。天守は3層4階の望楼式の構造です。しかし残念ながら天保元年(1644)に台風で倒壊してしまっています。 まぁ今はなき櫓や天守に思いを馳せるのもいいのですが、松阪城といえば石垣でしょう。石垣を堪能しないと勿体ないですね。また石垣のほかに私が松阪城で好きな場所が、二の丸から見た御城番屋敷の景色です。石畳と綺麗に刈り揃えられた植え込みを見ているだけでなぜかリラックスできます。あ、前回も似たようなこと書いてますね(^^;。感覚は大して変わってないようです。
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