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鵜殿大隈陣屋跡
登城日:(2004.01.02)
所在地: 岩美郡岩美町浦富
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
町の区画はかつての名残です。  寛永九年(1632)より238年間、鳥取藩執政職(家老)を務めた鵜殿氏の陣屋跡である。付近の地形は、ほぼ江戸時代の姿で残っている。陣屋跡は、廃藩後に浦富小学校となり、現在は網製造会社の敷地となっている。
 「御陣屋跡絵図」によると、今はないが、東側は掘で、その上は土手となり、北側も一部が掘と土手であった。入口(もと小学校校門のあった所)は石垣で囲まれていた。
 陣屋の中は、入口近くと奥にそれぞれ「御米蔵」があり、その間に「御小屋」が五棟ほど点在していた。一番奥には主要建物で政務をとる「御役所」があり、特別の時に使用する「御上段の間」「御広間」などの建物に続いている。その他、御小人部屋、馬屋の建物や鉄砲撃場などがあった。
 鎮護のため、南の山麓には「稲荷宮」、西に「妙見宮」「白ヒゲ宮」が祀られている。湧水も二、三ヶ所あり、中でも奥にある石垣の深い掘井戸の「御陣屋の井戸」は、今でも昔ながらに湧水をたたえている。

『鵜殿大隈陣屋跡案内板』より

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資料
 

私見
町の区画はかつての名残です。  桐山城へ登る道すがら鵜殿大隈陣屋跡に立ち寄ってみました。江戸時代の鳥取藩は領内の要所に家臣を配置し、「自分手政治」を行っていました。荒尾氏の米子、分家荒尾氏の倉吉、津田氏の八橋、和田氏の松崎、福田氏の黒坂、乾氏の船岡、そしてここ浦富には鵜殿氏が配置されたのでした。
 陣屋は桐山城主垣屋氏の居館跡につくられたようすね。現在はカギ状に直角に曲がった道路が当時のままに残る数少ない遺構なのではないかと思います。
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