HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

小山城跡


登城日:(2006.11.11)
所在地: 榛原郡吉田町片岡
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
小山城の模擬天守前には空掘、三日月掘も見れるようですが・・ 模擬ですが、それでも写真に撮るとさまになりますね。  小山城がはじめて築城された時期は不明である。『今川分限帳』には室町時代から戦国時代にかけて今川氏の井伊肥後守が1万5千石で居城していたとある。
 やがて武田領となる同城であったが、徳川氏による攻撃によって一旦は陥落するが再び奪還し、その後は馬場美濃守信房(信春)によって堅牢な城に改修されていき、大熊備前守長秀が入城した。
 天正元年(1573)の信玄没後、徐々に徳川氏の勢いが増していく。翌年、高天神城を落として今だ衰えぬ武田の威勢を見せた勝頼であったが、翌三年、長篠の合戦で織田、徳川連合軍に大敗を期してしまう。次第に遠江へ兵を集める徳川軍に対し、勝頼は高天神城を固め、相良城を築く。
 天正八年(1580)に家康が武田方の持舟田中両城を攻め、同九年三月に高天神城が攻略される。それを受け、ついに小山城は陥落した。

『日本城郭体系9』新人物往来社刊参照

【戻る】

資料
 

私見
弧を描く三日月掘が三重になっています。 大手門跡をくぐってすぐ右にある勘助井戸。「声をかけた」って・・  遠くからも鬱蒼とした茂みの中に頭を出す天守が見えていました。三層の模擬天守を持つ小山城です。元々は天守のない城でしたが、昭和62年に町のシンボルとして犬山城をモデルとして造られました。
 広い駐車場をもつ同城は、すっかり整備された観光施設だったのですね。比較的緩やかな女坂を登りますと立派な空掘と模擬天守が視界に入ってきます。その空掘には赤い橋が架けられ、その先には三日月掘があります。なんとも複雑な心境ですが・・・しかし模擬とは言え、写真にはそれなりに映えるものですね。本丸跡の上に何もないのが救われる思いがします(笑)。
 この小山城の一番の見所は西側に見える三重の空掘跡でした。内掘は幅7メートル、土塁幅1.5メートルの浅い三日月堀で、それを覆うようにして中掘が南北に伸びています。南側では土橋が横断しており、その先には南東へと折れ曲がっています。さらに外にはもう1重の掘があり、ここが最大規模のスケールです。この三重掘こそが激しい戦いを物語るにふさわしい遺構ですね。しばしの間、しゃがみこんで土塁の曲線美に酔いしれていました。
【戻る】