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今治城跡登城日:(2009.09.22) 所在地: 今治市通町3丁目、吹揚公園 |
歴史 | ![]() ![]() 高虎の城づくりは、高石垣、広い堀、大手と搦め手を明確化、虎口の出入口には枡形・方形の区画を設け、郭は四角形の構成を基本とすることが多い等の特徴が見られます。高虎は豊臣秀長、豊臣秀吉、徳川家康と多くの主君に仕え、城づくりと現場の体験から、高虎独自の工夫と、当時の最先端の技術を活かし、築城の名手として知られています。 自らの居城としては、紀伊猿岡城、伊予宇和島城・大洲城・今治城、伊勢津城・伊賀上野城があります。豊臣政権下では秀長の命で、出石城、大和郡山城、聚楽第等を、秀吉の命では伏見城等を、徳川政権下では膳所城、再築伏見城、江戸城、丹波篠山城、再築丹波亀山城、再築二条城、再築和歌山城、再築大坂城、淀城などを築いています。 ![]() ![]() 慶長末から寛永年間にかけて徳川幕府は、巨大な城郭を天下普請として驚くべき短期間に築いています。層塔式天守等に見られる、単純で規則的な積み上げ構造は用材の規格化を容易とし、工期短縮も可能とするなど、高虎は城郭構築技術の発展に大きく寄与したと思われます。 『今治城跡案内板』より
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資料 |
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私見 | ![]() ![]() ![]() 二の丸に足を踏み込むとすぐ目の前に藤堂高虎の騎上の像が天守と重なって見えます。少しずつ角度をずらしながら絶好の撮影ポイントを探す方は少なくないと思います。この像、なかなか格好いいのですが正面から高虎の顔をよくよく見るとそれなりに年齢のいった渋いおじさんといった印象です。若いイケメンじゃなくてよかったですが、なんか高虎のイメージと違うなと感じるのは私だけでしょうか。 ![]() ![]() ![]() 最上階である6階はまわりの眺望が拝めるようになっています。鉄御門や周囲の内堀、かつての城域を一望できるのは天守の醍醐味ですね。また今治城が建てられる前に高虎が入っていた国分城も遠くに見えています。 天守を出ると一通り写真映えする角度を探してうろうろうろ・・。コンクリート製の模擬であっても今治城の天守はなかなか見栄えいいですね。山里櫓脇の櫓門をくぐったあたりから見上げたあたりも迫ってくるような迫力を感じます。また、広大な水掘りとまっすぐに積まれた石垣と犬走りも今治城の特徴の1つですので、おさえておかないといけませんね。 最後に鉄御門内も散策しましたが、真新しい木造構造がまぶしいです。まだ何も置かれていませんでしたが、今治城のことですから今度来た時にはここも博物館や美術館さながらの展示物で手狭になっているのかもしれませんね。
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